2010年03月09日

納棺と通夜

3月1日のこと。
朝、起きておばあの部屋に行くと、おばあの布団の横に布団を
敷いて娘が寝ていた。
おばあの顔の両脇にドライアイスが置かれていた。
横に寝た娘が、寝ながらおばあの顔を見たいからかドライアイス
を動かしていた。

・・・・おばあちゃん、起きて見てよ。
・・・・あなた幸せよ。

この日も親戚のものが来てくれた。
夕方4時、葬儀屋さんがきて納棺。
おばあの唇を濡らして(末期の水)から拝む。
それから旅支度。
二人一組で足袋を穿かせたり、手甲、脚ハン、六文銭の入った袋、
次々と身につけてゆく。
小物入れを持たせ、わら草履を入れ、杖を入れる。
それが済むと、布団ごとお棺に移した。
最後におばあが元気な頃、たくさんの習い事をしていた時代、
詩吟の時に着ていた紺とブルーのグラデーションの着物を掛けた。
帯や帯揚げ帯締めも添えた。
おばあは照れているのか澄ました顔をしていた。
きれいだった。

・・・おばあちゃん、旅支度が出来ちゃったよ。

あばあは一歩先にお寺さんへ。
ご近所の方も一緒に見送ってくれた。

通夜、寒い夜になった。
祭壇はシンプルなものにしたが、生花や果物籠を多くいただいた
ので華やかになった。
読経の前に、お坊さんの話があり、戒名の説明あり、それから、
やっとお経が始まった。
思いのほか、親戚の人や町会の人が足を運んでくれて、
お清めの席もにぎやかになった。

私は何をしたわけでもないのに、背中がバリバリに固くなって、
この日も夜、なかなか寝付けなかった。


posted by ふみ at 15:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、こちらは雨降りでした。

納棺、読ませていただいて父の納棺を思い出しました。
父の唇が乾いていたのを思いだします。
愛用だった黄色のポロシャツ、ユニクロのフリースを葬儀屋さんが着せてくださいました。辛かったです。
今にも起きてきそうで・・・・。

葬儀場で一人でいるのはかわいそう、せめて私だけでもと思いましたが息子が「お母さん、帰ろう、また明日会えるから」と帰ってしまいました。今は後悔しています。控室もありお布団もあったのにって。。

家族葬だったのですが、たまたま父が現役の時の社員がご近所のお参りに来て「ひょっとして?」と言われ手を合わせてくださいました。信じられないと言ってられました。

今でもありありと覚えています。
本当に悲しいですね、ふみちゃんさん。
Posted by run at 2010年03月10日 20:34
runさんへ

悲しいね。。
命って、限りがあるのよね。
判っているくせに、失うまで忘れている。
母や父が逝ったときも、後から、ああすれば
良かった、こうしたら良かったと・・・。
そして、場面も昨日のことのように忘れない。
いつでも、泣けます。
忘れずに想うことが、私なりの供養と思っています。
Posted by ふみ at 2010年03月10日 23:10
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