昨日はおばあの実兄(故人)の嫁、私にとって伯母の葬儀に出か
けた。おばあの時に、従兄に来ていただいていたので参列させて
もらった。
この伯母は、おばあの同級生。
おばあの訃報を聞いてから、「次は私の番だ。」と公言し、
日頃から誰の世話にもならず、コロッと行きたいと話していた
そうだ。
おばあが亡くなって、ちょうど一ヶ月。
相次ぐ葬式に、親戚のものは大変だったと思う。
こればかりは、日を選べないから〜
伯母さん(おばあのこと)が呼んじゃったのかね〜と、話が出る。
伯母の自宅はおばあの実家近くにある。
田舎といっても開発が進み、私鉄が引かれ、都心に近く、それで
いて里山の自然が残るこの地域は、最近、若い人に人気のベッド
タウンになって、新住民が劇的に増えている。
山だった所に瀟洒な住宅が建ち、マンションが建った。
様子は変わったが、ずーーっと昔から住んでいる者は、その風習
が残っている。
通夜や告別式は家の座敷の続き間が使われた。
火葬場への出棺の時は、庭に降りたら、すぐ車に乗せないで、
お棺を男衆が持って、3回、庭をくるくると回った。
それから火葬場に向かう車に乗せた。
門先には「わら」の小さい1束と、「わら」でサンダワラが
作られ、「櫛」と「炭」が載せられていた。
そうそう、部屋の中には半紙に「施鬼飯 一飯」と寄贈者の名前
が書かれたものが貼ってあった。
施鬼飯=赤飯のことで、帰る時に一折、持たされた。
葬儀の次第も丁寧なものだった。
告別式後、火葬場に行き、お骨を拾うと、寺に行き、初七日の
お経を読み、その後、自宅に戻って「壇払い」。
朝10時頃に家を出て、帰宅したのは午後8時半過ぎ。
長い一日だった。
話がそれてしまったが・・・
故人の子どもや親しかった人と話をしたが、誰もが
「いつも言ってたよ。誰の世話にもなりたくない。って、
その通りの死に方だった。。」と。
その日の朝、いつものように、家族と朝食を取り、その後、調子
が良くないので布団で寝、午後になっても、胸の軽い痛みが
治まらないので救急車で病院へ。近所迷惑になるから、救急車
には音を鳴らさないで来てくれるよう、伯母自身が注文をつけた
そうな。病院に着くと点滴で小康状態になり、医者の話では
2〜3日で食事も取れるようになるだろうとの話で家族は帰宅。
翌早朝、病院から様態が急変したので、至急来るようにとの
電話で駆けつけたときには帰らぬ人となっていたそう。
誰もがその亡くなり方をうらやましがった。最後まで家族と
過ごし、93歳までボケもせず、病んで長いこと床につくことも
無く、あっさりと、逝った。
伯母のお顔は優しい安らかな様子だった。
子どもが6人、孫が14人、ひ孫が19人。
皆に別れを惜しまれていた。やり遂げた人生だったのだろう。
人生は自分の思うようになっていくという。
死に方までも念ずれば、願うようになるのだろうか?
少しは落ち着かれましたでしょうか。
念じてその通りに、見事な亡くなり方をなさった方、私もお1人知っています。
亡くなる数ヶ月前、偶然お部屋をたずねる機会があって、覚悟に覚悟を重ねた1人暮らしのお宅を見て、身が引き締まりました。
無駄なものが何一つないように見えました。
念じたら、かなう方もいるのかもしれないと
思いました。
私の実母は、まだ元気なころから、
老後の身の処し方に心を砕いていました。
でも、ボケてしまい、
1人ではどうにもできませんでした。
念じて努力をしても、かなわないのは
健康の問題と一緒でしょうか。
人に迷惑をかけずにこの世を去るのは、
まず滅多にできないこと・・・
せめて物の始末ぐらい心がけて、
生活習慣病の予防に心がけて、
迷惑を減らそう・・と思っています。
何かできることが他にあったら、
知りたいです。
コメントありがとう。
そうね。
仰るとおりだわ。
念じるだけでなく、物の始末、健康への留意
しなくちゃ、いけないことたくさんあるわね。
先のことだと、ボーっと過ごしていると
本当にボケてしまって迷惑かけちゃうね。
落ち着いたら、書き出そうかな・・
良い指摘、ありがとう。