2011年10月20日

息災であれば95歳

今日、10月20日はおばあの誕生日。皇后様と同じ日。
生きていれば95歳。

おばあがいなくなって、どの位経つのか時間の感覚が
分からなくなってきた。
去年の2月に、亡くなった。
もう、ずいぶんと時間がたったような気もする。
あの、ドラマチックな日々が懐かしい。
家は静かになって、私も夫も大きな声を出すことが無くなって
二人とも老けたよう(?)

何だか、本当に100歳まで生きれそうだったのに。。。

今日の誕生日、生きて迎えられなくて、残念だったね。

おばあの部屋も、整理していない。
時々思いついて押し入れやタンスのものを片付けるが、
まだ洋服もたくさんある。
着物だとか、趣味の道具が入った押し入れは手も付けていない。

帰ってきても、このまま生活続けられるよ。

何だか、センチメンタルな日。



posted by ふみ at 23:57| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは、お久しぶりです。っていつもこんなご挨拶からですね。10月20日はお誕生日だったのですか?本当はおめでとうございます。なんですね。寂しいですね。いつお帰りになられても生活出来るのにね。ふみちゃんさんはお元気ですか?ひと雨ごとに秋を感じるようなりましたね。母も7月で79歳になりました。もう日本語が通じません。1週間に1回訪問リハビリを受けていますがどこまでどうなのかわかりません。たしかに体重も減り去年来ていた洋服も大きくなりました。が、今さら〜と同じ物を着せています。今月6日の早朝、私がドジをふみ今整形に通院です。
起きて身体もしっかりしていないのにWCへ行き意識がなくなりました。これは今年からよくあることですが、頸椎の狭窄が原因です。
意識消滅時、棚にあった消臭スプレーが右足親指上に落ち神経4本が遮断されました。当日はびっこひいていましたが今は親指の感覚なしでもう日常生活に戻っています。母が週2回デイに行っているので今年は5○歳記念に市内観光をしました。プロの方に同行してもらい車いすであちこち動きました。家のこと、母のことも忘れ楽しいひと時を過ごしました。京都生まれですが京都ってこんないい場所があるんだな〜って感激しました。
今日は時代祭りでしたが雨で明日になりました。まだ神経が1本戻っていないので時々痛みもあり靴もはけません。その分、しっかり口が達者になりました。笑い話ですね。夏の間に体力作りが不十分だったためこの冬は相当厳しいらしいです。夏もずっと点滴に通い
まあ、母が一番元気です。父の部屋は母がいつも間にか整理をしたよう、洋服たんすももぬけも空です。父には18日に知恩院さんであいました。今年12月24日でまる3年目になります。早いですね。私も何度か父と所に行きたいと思い」ましたが息子も母もいるのでなかなかいけそうにありません。
明日は晴れてほしいですね、洗濯物がいっぱいです。竿が折れそうになっています。
Posted by run at 2011年10月22日 22:16
runさんへ

お久しぶり〜! お元気そう(?)で良かった。
コメント入れてくれて、近況がわかって、うれしいです。
ありがとう。
頸椎の狭窄が原因で意識が無くなってしまうなんて、怖いですね。
気をつけてね。と、言っても気をつけようがないのですね。
でも、時には自分だけの時間を持って、ゆっくりなさっているようで、ホッとします。
京都は素敵。
お母様も、ずいぶんと進んでしまいましたね。
私も、おばあが痩せても以前の服は活用していました。
runさん、お父さんの所に行きたいなんて、言わずに
お母様や息子さんのために、明るく頑張ってね。
口だけ達者になるのは、私も一緒です。
今年の冬は、寒さが厳しくなるのかな?
お互い、自分を大事に過ごしましょうね。

Posted by ふみ at 2011年10月23日 00:00
ふみさん こんばんは

誕生日だったのですね。
ばあちゃんも11月1日に特養入所が、決まりました。
でも私の気持ちは、安心するのと同じくらい複雑な思いがあります。
まだ、看れたのでは?ってささやきが聞こえるようです。
主人が、毎日帰宅する状態ならまだ看れたかもしれないなって思います(言い訳です)
でも夜に部屋に行くと毎回、ベッドから落ちて青たん出来てる状況は私にはきつかった。少し恐怖を感じてしまっていた。それが、決断したきっかけです。
それでも5年という短い時間をばあちゃんと暮らし、大変なだけじゃなくやはり愛情もあったのだと思うこのごろです。
Posted by うちゃこ at 2011年10月24日 21:14
うちゃこさんへ

コメントありがとう。

特養に決まって良かったですね。
複雑な気持ち、本当にわかります。
でも、これから寒くなるし、快適で、夜も見てくれる所の方が安心です。
それに、もし入所して問題があったら
連れ帰ることだって出来ます。
どちらにいることが、幸せかは解らないです。

一緒に暮らしている頃は、日々に夢中で
あまり考えもしませんでしたが、亡くなって
懐かしく思うのは、私にも愛情があったと思う。
そうでないと、看れないことでした。

本当に良かったです。
うちゃこさん、気が抜けないように健康に気をつけて。
これから、自分の時間を楽しんでください。
Posted by ふみ at 2011年10月26日 01:23
ふみさん、こんばんは。
おばあは、生きてらしたら、皇后さまと同じご年齢なんですね。
私の義理の母(主人の母)は、悠仁さまと同じ誕生日でした。
なんだか不思議な巡り合わせってあるものだと、この歳にして実感しています。
私の主人は、私の父親と同じ誕生日ですし。
父も、義理の母も、もう他界してしまいましたけれど。
父は亡くなる前、すごく几帳面に私に記録していてくれました。
ふみさんも時々、過去の記事をご自身で読んでみると、きっと懐かしいと思います。

私の母は、数ヶ月前に水中毒で意識が無くなり。
ちょっと不思議なんですけれど…川のある橋を私が渡って回ったりして。
それから、母の居る病院へと行った日に、意識が戻っていました。
今日も会って、体をマッサージしたり。
体が固くならないよう、できる範囲で動かしてあげました。

亡くなった人の使っていた物を片付けいると、その人の思い出や、その人の使っていた思いを感じるものですね。
95歳ではなくても。
おばあを、尊敬しています。
ふみさんにも、元気で過ごしてほしいですね!
Posted by シロップ at 2011年11月02日 23:23
シロップさんへ

コメントありがとうございます。

おばあは、皇后様と同じ歳ではなく、誕生日が一緒なのです。
皇后様より、ずーっと年上です。

誕生日が重なっていると、親近感がわくというか
覚えやすかったり、何か縁を感じますね。

お母様の「水中毒」って、不思議ですね。
入院されていて大変でしょうが、うらやましいです。
まだ、息災で。。
お母様との時間を大切に過ごしてくださいね。

私も父の書いたものや、単なるメモみたいなものでも
大切にとってあります。
おばあのことを書いたノートも、時には読んで
こんなこともあったかと〜と、読みふけったりします。
私が生きている限り、故人も生きているのだと思います。
Posted by ふみ at 2011年11月03日 23:12
こんにちは。
そうですね。
私の感覚だと、皇后さまと言えば、お亡くなりになりになった昭和の皇后さまをイメージしてしまうもので。
皇后さま、というよりも。
美智子さま、と思ってしまいます。
皇太后さまは97歳でご逝去されたようですね。

水中毒は、私が母を長年見てきた感覚だと。
現実逃避の一つの形だったのかな?と思います。
グループホームで生活していましたが、ほかに入居している方々よりも年齢が若かったこともあり。
持病が精神の病とは言え、思考力も記憶力もハッキリとしているので。
今は意識が戻り、食事も水分も摂れない分、薬も体から抜けたかなと思っています。
今は病院で体が自由に動かない生活ですが。
これから少しずつ、元気に過ごしていけるように支えてあげられればと思います。
Posted by シロップ at 2011年11月08日 13:30
シロップさんへ

コメントありがとう。

精神のバランスが崩れると、色々な病気が出るんですね。
それって、誰にも起こりうることで怖いですね。

シロップさんは、優しいのね。
元気に過ごせるよう、支えてあげてください。
そういう方が、傍にいるって、幸せなことです。
Posted by ふみ at 2011年11月08日 21:28
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