2008年03月17日

老婆の詩

看護婦をしている娘が勉強会で何度か話を聞いたことがあり
もっと、知りたいとネットで調べて、その「詩」の全文を印刷
しました。
私に見せたいと思ったそうです。
「反省をしろ」ってこと!?

「詩」はイギリスの認知症の老女が亡くなった後
ベットを片付けた時に出てきたそうです。

認知症の人が書いたとは、思われません。


---*------*------*

何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見るとき、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活も
おぼつかなく 目をうつろにさまよわせて
食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気付かないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている。
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたの考えていること、
あなたが見ていることではありませんか
でも目をあけてごらんなさい、看護婦さん、
あなたは私を見てはいないのですよ。
私が誰なのか教えてあげましょう。ここにじっと座っている
この私が
あなたの命ずるままに起き上がるこの私が
あなたの意思で食べているこの私が誰なのか

私は10歳の子どもでした。父がいて母がいて
兄弟、姉妹がいて皆お互いに愛し合っていました
16の少女は足に羽をつけてもうすぐ恋人に会えることを
夢見ていました。

20歳でもう花嫁。私の心は踊っていました。
守ると約束した誓いを胸に刻んで
25歳で私は子どもを産みました。
その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの
30歳子どもはみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
40歳、息子達は成長し、いってしまった。
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
50歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
私の夫と私は再び子どもに会ったのです。
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです。
先のことを考え・・不安で震えました。
息子達は皆自分の子どもを育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました。

今、私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です。
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
身体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ
かつて心があったところには今では石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心をふくらます
私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は
思うの
そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです

だから目を開けてよ、看護婦さん・・目を開けてください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!

                ---*----*----*----*


英語を日本語訳をしているから文章的おかしいところもある。

娘いわく、きっと「まだらボケ」のような時期に書いたのでは
ないか・・こういった時期が一番苦しいよね。全部
わからなくなったら、こういう思いも無いだろうし・・・

う〜ん、
一人一人にそれぞれの人生がある。
最終章にきた「認知症」の状態を見て、人格的、断を下しては
いないけど・・・・


ラベル:認知症
posted by ふみ at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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