2012年02月27日

三回忌法要

昨日、おばあの三回忌の法事を行った。
家の家族と、私の妹とその娘達が来てくれて総勢9名の
ささやかな会でした。
この日は、お寺さんの方も珍しく、法事は我が家1軒だけ。
だから、お坊様も気分的にゆっくりなのか、最近の自分の
趣味である寺の代々住職のルーツ探しの話が止まらなくて・・・・
まあ、不思議な縁の結びつきの話で楽しいのだけど、
法事の後、昼食をする所の予約時間があって、私はやきもき〜。
お坊様の奥様も様子を見に2度ほど部屋に来たけど…何も言わず〜
私は出されていたお茶を、お盆の上に集めて片づけたりして〜
それとなくアピールしたけど。。。
見ているのか、いないのか、気づかないのか?
11時の始まり時間を30分位過ぎて、話しが切りあがり、
やっと本堂に移動。

三回忌法要が始まった。

南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀 南無阿弥陀
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀

お経が終わり、塔婆やお花を持ってお墓参りに行こうとすると、
また玄関先で話が始まる。
和尚曰く、家の者に話しても誰も聞いてくれないものだから…

外に出ると、お墓に行くより先に、私は食事処に電話をして、
遅れる旨を伝える。

当然、食事の席はお坊様の話で盛り上がる。
私のお茶の片づけを「ナイス!」と言ってくれたもの。
「あれは、いただけないよ。俺がきっかけを作ろうと
思っていた」という長男。
「あの話の流れでは、壺や何かを売りつける話が出るかと
思った」というもの。

おばあちゃんも、この若い人の多いにぎやかな席で、
一緒に過ごせたら、どんな顔をしていたでしょう。

とにもかくにも、それなりの供養が出来て良かった。

おばあちゃん、『私なりにやったよ。』










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2012年02月18日

三回忌の打合せ

17日の金曜日にお寺さんに行ってきた。
26日の日曜日に、おばあの三回忌法要をするために
打合せということで、呼ばれていた。

出席者は何名か?
お塔婆はどうするか?
本尊とお墓に上げるお花はどちらで用意するのか?
供物は菓子折りと果物を持ってきなさいと指図され
それで終了。

三回忌は、親戚を呼ばず、家族と私の妹一家だけでする。
だから、お清めの席の手配も、返礼の品の手配もないので
去年に比べて、楽ちん。

もう、丸2年になる。。。
posted by ふみ at 21:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

生きている意味

介護のことが書かれた雑誌か、何かに「人は生きている意味が
あるのです。」とあった。
認知症になって、言葉もしゃべれず、自分の居る場所も
回りのものも判らなくなって、生きていて楽しいのか?
おばあの晩年の生きている意味は何か?
私は「体」が死ねないからだと、体力があるからだと思っていた
デイでも心穏やかに日々を過ごしていただけるよう対処する。
「生」を全うするのを見守り、手助けしましょう。
そういう感じで、私もそう決めた。

おばあは、私に「現実の生」を見せたのではないか。
認知症で何も判らなくなっても、生き続けて
風邪を引いて、肺炎になりそうな時も回復して
歳を取るって、こういうことよ。と、私に教えたのではないか
私の母は46歳で亡くなった。
その母の歳を越えてしまった私は、未知の世界に生きている。
おばあは、その母の代わりに私や夫や子供達に見せたのでは
ないか。
心構えを教えていったのではないか・・
おばあが生きた意味の一つかもしれないと、ふと、思えた。
posted by ふみ at 19:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイトル変更

ブログのタイトルを過去形に直した。
冒頭の文を少し替えた。
最初の日記の文も変更した。
おばあが亡くなったのに、私はこのブログを止めることが出来ず
にいる。
まだ、語りたいことが出そう。
時に、私自身が過去の日記の中の、おばあに会いに行く。
そこでは、おばあが生きている。
時に憎たらしかったのに、懐かしい〜

どこまで、
いつまで、
係われば気が済むのか私自身わからないけど・・
このブログを通じて、コメントいただいた方と別れるのも
寂しくて・・
ここから離れられずにいる。

おばあの存在も、このブログも、私が思っている以上に
私の中で大きな位置を占めていて、私の支えだった。

posted by ふみ at 00:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月14日

急性腸炎

おばあが亡くなって、49日の法要も済んで一安心していた。
昨夜、突然の腹痛。
私は若い時から、疲れたり、寝不足になったり、暴飲暴食したり、
体力落ちたり、風邪の引き始めなど「腸」にくる。
父の家系的に胃腸が弱いようだ。
下痢と嘔吐で苦しい一夜を過ごした。
日頃が元気だから、七転八倒の痛さは、不吉な予感も走る。
このまま、あの世に行ってしまったら、片付けも何もしていない
きちんと始末しなくちゃ死ねない・・なんて考えた。

今朝は治まったものの、食べるとお腹が痛くなる。
朝は白湯とトースト1枚
昼はおかゆ
夜もおかゆ
ひもじい〜
生きている楽しみの大きな比率は食べることの私。
悲しい〜

私なりに気を張って、疲れが出たのだと思う。
まだまだ、おばあの役所関係の手続きや部屋の片付けなど
手付かずでいるが、ボチボチ始めなくては。
自分の物の整理も本気でやらなくては。
今度は自分の残り時間を考えなくては。。。
posted by ふみ at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月13日

七七忌の法要

前日の寒さに比べて、妙に暖かくなった日曜日。
おばあの49日の法要が執り行われた。
お寺さんへの持ち物、お骨、写真や位牌、少しのお米。
お布施、花代、塔婆代、石屋さんへの支払い分。
当日、参集してくださる人へのお礼の品。
食事の手配、送り迎えの車のこと。
前日は、忘れ物が無いか、手配ミスが無いか緊張した〜!
当日は何事もスムーズに運び、無事帰宅。
ご近所で、お香典だけを届けてくださった方が2軒あったので、
「後返し」に出向いた。
これで一段落。
長〜い一日だった。

お骨のなくなった、おばあの部屋は、また一段とがら〜んとした
感じで寂しい〜〜

おばあは、暖かい日に、お墓に収まって一安心しただろうか?

お坊さんから、スプーン1杯のお米を持ってくるように言われた
そのお米は、墓石の周りに撒いた。
寂しくないように、餌(お米)を求めて、小鳥が来るように・・
という配慮なのだそうだ。


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2010年04月07日

折に触れ

朝のNHK連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で、今朝、主人公の
おばばが亡くなった。家族それぞれが、逝ってしまったおばばを
偲ぶ場面があった。
台所仕事をしながら、「そろそろ大根でも漬けましょうね。」と
何気に話しかけて、亡くなってしまったことを再認識し、
涙していた嫁。
家のおばあは、テレビに描かれていた人とは全く別タイプである
が、家族が亡くなったということでは同じ。
「寂しさ」がリンクして、泣けた。

夜、一人で居間にいると、外の風の音か?歌声に聞こえた。
おばあも、夜、寝床の中で歌っていた。
何の歌か聞き取れない、メロディもはっきりしないものだったが
ふと、おばあが歌っているようで耳を澄ませた。

11日の日曜日、49日の法要をする。
その時に納骨もする。
あと何日かで、今、部屋にある「お骨」も墓の下に入ってしまう
何だか、また寂しい気持ちになっている。

一人で過ごす、深夜はセンチメンタルになって泣ける。
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2010年04月03日

五七日

もう、あの日から5週間も経ってしまったなんて・・早い。

1日(木曜日)に、お寺さんから49日の打ち合わせに呼ばれて
行った。
当然、夫も一緒と思っていたのに、裏切られた。
「そろそろ仕度して! 出かけるわよ。」と、声をかけたら
「すみません、お願いしますよ。」
「エッ!?、私一人で? 何で?」

夫はウツ。
外に出たがらない。
さして重要と思っていないことは、私一人に任せる(?)という
スタンスらしい・・

仕方なく、一人でお坊さんに会いに行った。
49日の出席者の人数、塔婆の数や名前の確認。
当日、用意する物。
花、写真、白木の位牌、お骨、果物、菓子、お米。
当日の支払いは、お布施、花代、塔婆代、石屋さんへの支払い。
大体、概要はつかめてきた。
あと1週間。
これが、終われば一段落。
ゴールデンウイークに、おばあの部屋や荷物の片付けでも
しようかと思っている。



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2010年03月31日

死に方も念ずれば・・

27日の土曜日で四七日。

昨日はおばあの実兄(故人)の嫁、私にとって伯母の葬儀に出か
けた。おばあの時に、従兄に来ていただいていたので参列させて
もらった。
この伯母は、おばあの同級生。
おばあの訃報を聞いてから、「次は私の番だ。」と公言し、
日頃から誰の世話にもならず、コロッと行きたいと話していた
そうだ。
おばあが亡くなって、ちょうど一ヶ月。
相次ぐ葬式に、親戚のものは大変だったと思う。
こればかりは、日を選べないから〜
伯母さん(おばあのこと)が呼んじゃったのかね〜と、話が出る。

伯母の自宅はおばあの実家近くにある。
田舎といっても開発が進み、私鉄が引かれ、都心に近く、それで
いて里山の自然が残るこの地域は、最近、若い人に人気のベッド
タウンになって、新住民が劇的に増えている。
山だった所に瀟洒な住宅が建ち、マンションが建った。
様子は変わったが、ずーーっと昔から住んでいる者は、その風習
が残っている。
通夜や告別式は家の座敷の続き間が使われた。
火葬場への出棺の時は、庭に降りたら、すぐ車に乗せないで、
お棺を男衆が持って、3回、庭をくるくると回った。
それから火葬場に向かう車に乗せた。
門先には「わら」の小さい1束と、「わら」でサンダワラが
作られ、「櫛」と「炭」が載せられていた。
そうそう、部屋の中には半紙に「施鬼飯 一飯」と寄贈者の名前
が書かれたものが貼ってあった。
施鬼飯=赤飯のことで、帰る時に一折、持たされた。
葬儀の次第も丁寧なものだった。
告別式後、火葬場に行き、お骨を拾うと、寺に行き、初七日の
お経を読み、その後、自宅に戻って「壇払い」。
朝10時頃に家を出て、帰宅したのは午後8時半過ぎ。
長い一日だった。

話がそれてしまったが・・・
故人の子どもや親しかった人と話をしたが、誰もが
「いつも言ってたよ。誰の世話にもなりたくない。って、
その通りの死に方だった。。」と。
その日の朝、いつものように、家族と朝食を取り、その後、調子
が良くないので布団で寝、午後になっても、胸の軽い痛みが
治まらないので救急車で病院へ。近所迷惑になるから、救急車
には音を鳴らさないで来てくれるよう、伯母自身が注文をつけた
そうな。病院に着くと点滴で小康状態になり、医者の話では
2〜3日で食事も取れるようになるだろうとの話で家族は帰宅。
翌早朝、病院から様態が急変したので、至急来るようにとの
電話で駆けつけたときには帰らぬ人となっていたそう。
誰もがその亡くなり方をうらやましがった。最後まで家族と
過ごし、93歳までボケもせず、病んで長いこと床につくことも
無く、あっさりと、逝った。
伯母のお顔は優しい安らかな様子だった。
子どもが6人、孫が14人、ひ孫が19人。
皆に別れを惜しまれていた。やり遂げた人生だったのだろう。

人生は自分の思うようになっていくという。
死に方までも念ずれば、願うようになるのだろうか?
posted by ふみ at 13:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

三七日

20日の土曜日、おばあの三七日。
お彼岸なので、墓参りに行って来た。
おばあの遺骨は、まだ家にある。
おじいちゃん(おばあの夫)の所と、自分の両親の所と2箇所を
回ってきた。

日常は戻ってきて、世の中、何も変わりが無いように動いている。
おばあの部屋に毎朝、雨戸を開けに行き、お線香をあげる。
遺骨に向かって「朝だよ、起きて」声をかける。
おばあの部屋には空虚感が漂っている。
そして、私の心も。
ふとした時に、おばあとの日々が思い出される。
自問自答が始まり、後悔に襲われる。
気持ちが沈みこむ・・・

posted by ふみ at 01:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月14日

四十九日の準備

葬儀が済んで、思いつくままにご挨拶に出向いたり、役所に
行ってみたり・・次に心配は49日のこと。
---*--*
仏教において、亡くなってから49日間を「中陰」と呼びます。
7日ごとに、初七日、ニ七日(ふたなぬか)、三七日(みなぬ か)
〜中略〜
七七日(なななぬか=49日法要のこと)といった名前がつけられ
ています。
この間、七日ごとに閻魔大王による裁きが行なわれ、極楽浄土に
行けるかどうかの判定が下されるのが四十九日目で、この日が
忌明けとされます 。
遺族は、七日ごとの裁きの日に合わせて故人が成仏できるように
祈ります、遺族が祈ることによって故人の善行を足していくと
いう意味で、追善法要と呼ばれます。
こうした法要の際に、僧侶による読経のあと食事がふるまわれ
ます。この食事を御斎(お斎とも書く・おとき)と呼びます。
僧侶や参列者へのお礼の気持ちをこめたお膳であると同時に、
一同で故人を偲ぶための行事です。    *---*----*

お寺さんから、スケジュールを決められ、石屋さんには連絡した
が、果たして、どの程度のことをすればよいのか?
葬儀に参列してもらって、さして日も置かず49日。
親戚の人にも、また時間やお金の負担をかけてしまうことに心痛む
そこで、おばあの実家=私の母方の本家なので、従兄にお礼かた
がた電話をして、どうしたものか聞いた。
あくまで、こっちのやり方だけど・・と、前置きがあって
49日は親戚を呼んでやるものだって。
そういうものだから、葬式のすぐ後だからと気にすることは無い。
声をかけるところは、△や○etc・・・と、指示してくれた。
往復はがきを出して、「お塔婆」のことも書き添えておきな。
お寺さんの「お布施」は葬儀の時の10分の1位でいいんだぞ。
料理は○○円位で、それに飲み物が入るから△△円位になる。
持たせる引き出物は○○円位。
具体的に教えてくれた。
頼りになる〜
父方の本家の従兄は亡くなって、未亡人がいる。他にも従兄が
いるがこちら側の親戚は都会的というか、合理的で相談できる
雰囲気ではない。
49日にも来ないかも。親しい従姉他だけにする。
だから母方の従兄の言うままに仕切ることにする。

「お斎」をする所を決め、予約をした。
往復はがきをプリントした。宛名を書き込むだけにした。
あと、引き出物を決めなくてはならない。
それと告別式に来ないで、お香典をくださった方にも「志」を
考えなくては・・

おばあよ、一通りのことはきちんとするよ。
あなたが、まだボケない頃、親戚の葬儀に出かけた後に
自分の時は「○○屋」のおまんじゅうを添えて、引き物は
ちゃんとしたもの・・・と言ってたね。
あれから20年も過ぎて、○○屋は廃業しちゃって、近頃は
おまんじゅうを引く家も少なくなって、様変わりしたけど
私は、するよ。
私の母に会ったら、姉さんヅラしないで母に感謝して欲しいから。



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二七日(ふたなぬか)

3月13日
今日で2週間。
今朝は、おばあが通っていたショートステイに利用料の支払いに
行った。
告別式にショートステイとデイサービスの職員の方がお焼香に
来てくださったので、葬儀が済んで2日目に、ご挨拶にいった。
その時に、おばあの使わなくなってしまった「紙おむつ」を
施設で使っていただけるか聞いていたので、今日、2月分の
利用料を納めながら届けた。
先日、お会いしなかった職員さんがいたので、お世話になった
お礼を述べる。
「寂しいです。」と、言ってくれた。
「ハイ、私も寂しいです。いなければ、どんなに楽か思って
いましたが、今はとても寂しいです。」
そんな返答をしたら、ふぅ〜と涙が出て、言葉が続かなかった。
「ご家族はよくやったと思います。」と慰めの言葉。

優しい〜
決まり言葉なのかもしれないが、感謝。

おばあはデイサービスに通って良い時間を過ごしていたのだと
思えた。
posted by ふみ at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お寺とのつきあい

おばあの葬式が済んだ翌日の3月3日、午後3時にお寺さんに
呼ばれていたので、出かけた。
おばあの亡くなった翌日の日曜日に打ち合わせで呼び出された
時は、葬儀の段取りとか戒名のこと、こちらからは
「お布施=戒名代」を尋ねる話だった。
夫と私、それに息子を伴った。
今回は娘を伴って行った。
世間(?)を見たり聞いたりする経験をしておいた方が良いと
思って付き合わせた。
葬式が済んだ翌日のお話は、今後の行事についてだった。

まず49日、7月の新盆、初彼岸と続く。
まず49日のこと、10日前の4月1日打ち合わせがあるが、
その時までにすること。
出席者の確認、お塔婆の確認、墓誌に名前を刻んでおくこと、
納骨のために石屋さんをお願いしておくこと。
お位牌はどういったものですか? 
49日には今、白木に戒名が張ってあるものから、きちんとした
位牌に替えなければなりません。
新しい位牌を作るなら、魂を入れないと駄目で・・・
幸い、家のは「クリ位牌」で、お位牌の上部をはずすと、札が
入っていて、先祖の戒名が書かれている。だから今回も札に
戒名を書くだけで済む。

次は、新盆。
お施餓鬼(盆の行事)があって、新しい仏さんがいる家族は参加
して、お焼香をするらしい。
その何日か後の「盆入り」には、自宅に帰る仏を寺まで迎えに
来て、おぶって帰るようにと、言われた。
新しい仏さんがある家にはお坊さんが自宅まで棚経にも来て
くださるようで、追って時間を知らせるとのこと。
そしてお盆の終わりには仏さんを送り届けるために、また、
お寺に行くそうな。
新盆には施主がお塔婆をあげるのだが、いつもとは違って大きい
サイズになるそうで、ピンクの紙をお知らせの封筒に入れて、
必要な所に○印をつけておきますから、それらプラス「お布施」
を入れてください。〜〜

9月が初彼岸になります。

時に雑談が入り、思いついたように話が入り、1周期まで続いた。
ノートしながら聞いた。

お寺さんも仕事。
1年間は、言われるままやろうと決めた。
でも・・・・ハア〜
時間もお金も掛かる。。

息子や娘の時代になったら、あの子達の考えでやってもらおうと
思っている。
同じようにしなくて良いし、同じようなやり方で続くとは思わ
ない。

家の先祖は商売をしていた。
多少、ゆとりがあったのか、信心深かったのか、檀家総代など
もしていた。
時を経て、私達はサラリーマン、広い墓地にたいそうな戒名、
それに見合ったお付き合いは無理。
栄枯盛衰ではないけれど、時代変れば事情も変る。
お坊さんは「生きている人のほうが、優先ですから・・」と、
仰せながら、子孫の役目などを道徳的に話される。

お寺さんとの付き合いも難しい〜
posted by ふみ at 00:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

告別式

3月2日 午後12時半。
式が始まる前に、来てくださった方へ挨拶。そして、火葬場まで
お付き合いくださるのか確認する。
段払いの最終人数を業者に知らせなくてはならない。

お経が始まり、お焼香。
続いて、初七日のお経が始まり、お焼香。
その後、最後のお別れ。
お棺にお花を入れていく。
白い菊の花がたくさん入れられ、赤いランの花が顔周りに置かれ
ていく。華やかになった。
娘が泣き出す。
泣き始めたら、止まらなくなったのか、しゃくりあげて泣く。
傍に行って、背中でもさすったら、もっと泣き出すかと思って
そのままにしておいた。
幾人かは娘の涙にもらい泣き。
お棺のフタが閉じられた。
最近は石で釘打ちするような儀式は省かれるようになったとか。
お坊さんが筆と硯を持ってきて、お棺の上に何やら書き付けた。
白っぽい桐の板に、黒い筆字は映えて、見事だった。
今度、なんて書いてくれたのか聞いてこよう。
2行書いた。「菩提」という文字が入っていた。

おばあの棺は男性に持たれて車へ。
火葬場に移送する。

火葬場は混んでいた。
黒い集まりがそこかしこにいる。
遺影を飾り、お経をあげてくれて、お焼香。
小さな窓を開けて、最後にもう一度顔を見る。

形がなくなるのは、悲しい。。。

控え室に移動。
待つ間に、段払い。
業者の人が控え室に、食事を並べて置いてくれた。
近頃は、場所を移して、段払いをすると時間もかかり、参列者も
高齢化で帰宅時間が遅くなると負担になるというので、この
方法が流行らしい。

食事が終わると、ほどなくアナウンスが入り、収骨に。

おばあは小さな箱に収められてしまった。
一緒に帰宅した。49日まで、家にいる。

感情の入る間もなく、進行して、無事終わった。
背中がバリバリに硬くなって、疲れた私が取り残されたよう。
おばあの部屋に遺骨を置き、遺影や花を飾り、果物を置いた。
賑やかになったが、寒々しい部屋になった。
posted by ふみ at 18:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

死後の各種手続き

3月8日の月曜日。
市役所に行って来た。
おばあは年金をもらっていたし、介護費用が負担限度額を超えて
いるので、返金を受けていた。
一体、何から、どう届ければいいのか・・???

市役所の「市民部」で、聞いてみた。
不思議そうな顔をされたけど、私の尋ねることは不思議なこと
ではないはず。
誰しも、迷うと思うのだけど。
「何か、手続きの一覧表とか、何か無いですか?」
「戸籍係」の所に行くよう言われた。

「死亡届」や「火葬許可証」は葬儀屋さんが代行して出して
くれて、それで葬儀が出来た。
その後は、・・誰も代行してくれない。

戸籍係の所に行って、同じことを言うと
「ご不幸があった場合の各種手続き」というA4サイズの両面
印刷された紙をくれた。

後期高齢者医療被保険者証返却
後期高齢者医療保険葬祭費の申請
介護保険証の返却
印鑑登録証の返却

「高齢者支援課」に行き、詳しい話を聞く。
まだ、これから被保険者番号など、必要なことが起きるかも
しれないので、3ヶ月位は持っているように。
その後に、「葬祭費」の申請をすれば良いだろうって。
高額介護の支給費の件は市役所側がするので特に届ける必要なし
つまり、当面することは無いみたい。

「年金」のことは社会保険事務所。
こちらへは電話で尋ねた。
年6回の支給。4月の振込みは2・3月分だそうで、おばあは
それを受けてしまうと3月分を返却することになるので、早速
止めます。と、言われた。
そして、その場で処理された。
後日、住民票・戸籍抄本など言われた書類を整えて事務所に
出向いて手続きをすれば2月分を4ヵ月後に振り込んでくれる
そう。

「預貯金」
市役所から金融関係に「死亡」の通知は届かない。
だから少額の場合は、普通に引き出しが出来る。
「死亡のため解約」とか言うと、その口座がクローズされ
「遺産分割協議書」などの書類を整えなくてはならない。
信用金庫の人に聞いたら、3・4ヶ月引き出し出来ないとか・・

「不動産」の名義。
法務局に行って、聞かなくてはならないが市役所の人いわく
固定資産税の額が変るわけではないので、これも慌ててすること
もないようだ。

「相続税」は税務署の範疇。
これも、人の話によると5000万以上の財産がある場合だとか・・
家では、まったく関係ない話。

「生命保険」
入っていた人は、保険会社に行って手続き。


こんなとこだろうか・・
市役所に行って、少し何をすべきか見えてきた。





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2010年03月09日

納棺と通夜

3月1日のこと。
朝、起きておばあの部屋に行くと、おばあの布団の横に布団を
敷いて娘が寝ていた。
おばあの顔の両脇にドライアイスが置かれていた。
横に寝た娘が、寝ながらおばあの顔を見たいからかドライアイス
を動かしていた。

・・・・おばあちゃん、起きて見てよ。
・・・・あなた幸せよ。

この日も親戚のものが来てくれた。
夕方4時、葬儀屋さんがきて納棺。
おばあの唇を濡らして(末期の水)から拝む。
それから旅支度。
二人一組で足袋を穿かせたり、手甲、脚ハン、六文銭の入った袋、
次々と身につけてゆく。
小物入れを持たせ、わら草履を入れ、杖を入れる。
それが済むと、布団ごとお棺に移した。
最後におばあが元気な頃、たくさんの習い事をしていた時代、
詩吟の時に着ていた紺とブルーのグラデーションの着物を掛けた。
帯や帯揚げ帯締めも添えた。
おばあは照れているのか澄ました顔をしていた。
きれいだった。

・・・おばあちゃん、旅支度が出来ちゃったよ。

あばあは一歩先にお寺さんへ。
ご近所の方も一緒に見送ってくれた。

通夜、寒い夜になった。
祭壇はシンプルなものにしたが、生花や果物籠を多くいただいた
ので華やかになった。
読経の前に、お坊さんの話があり、戒名の説明あり、それから、
やっとお経が始まった。
思いのほか、親戚の人や町会の人が足を運んでくれて、
お清めの席もにぎやかになった。

私は何をしたわけでもないのに、背中がバリバリに固くなって、
この日も夜、なかなか寝付けなかった。
posted by ふみ at 15:35| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

今日で1週間

3月6日(土曜日)
あれから1週間経ったなんて・・信じられない。
今日は、いつも通っていた、おばあがそこで具合が悪くなった
医者にご挨拶と、精算もせずに救急車に乗って行ってしまった
ので、支払いに行った。
おばあの診察券を出し、受付の人に
「あの〜先週・・」と、言ったら、すぐに気づいてくれた。
菓子折りを差し出し、精算を頼んだ。
「先生がお入りください、と言っていますので・・」言われて
診察室に行き、救急車で運ばれたその後の話をする。

「自然死だよ。。よくやったよ。。」

長年、お世話になったお礼。
診察に来た場所で、おばあが具合が悪くなって、他の場所で
なくて良かったことなどを話す。
すると、先生が私をまっすぐに見つめて

「それより、あなた気をつけなさいよ。心も・・色々思うこと
あるかもしれないけど・・
体も、力抜けて・・・この1年、気をつけなさい。
1年過ぎたら、すごく元気になるから。」


きっと・・・
あの先生は、そういう例をたくさん見ているに違いない。
例えば、夫婦の片方を失った人とか、家のように介護して
見送った人が、体調を崩す例を多く知っているのだろう。

1年。

まだ・・始まったばかり〜
posted by ふみ at 00:30| Comment(4) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2月28日のこと

27日におばあが亡くなって、業者が出入りし、一日が終わった
夜、おばあの部屋は、蚊取り線香のような形をした、長時間持つ
お線香をたき、灯りをつけたままにした。
午前1時過ぎ頃に寝たが、寝付けない。
階下に降りてきて、おばあの部屋に足を運ぶ。
現実を確かめる。
明け方頃、眠りについたのかも・・

一夜明けた日曜日。
おばあの実家の従兄夫婦と、おばあの妹(私にとって伯母)が
車に乗り合わせて、来てくれた。
「突然で、びっくりしたわ。元気だったんでしょう。」
挨拶やら、状況やら、日頃の話をする。

次の訪問者はお清めや段払いをお願いした業者。

それから、おばあに親しくしてくださったお友達。
バスを乗り継いで、足の具合が良くないのに来てくださった。

続いて、従兄の奥さんから電話で、家に行きたいのだが、道が
判らなくて、自宅に戻ってしまったという電話。
妹と息子に迎えに行ってもらう。
話しがおかしい。おばあを別の伯母と勘違いして話をする。
心配なので、自宅まで送り届けた。
あとから娘さんから電話があったので、聞いたところ認知症で
薬を飲んでいると言う。おばあの初期と同じ・・

葬儀屋さんがやって来て、ドライアイスを交換し、遺影にする
写真を渡し、生花や果物籠のリストを渡す。

夕方5時にお寺に呼ばれているので、留守を娘と妹に頼み
夫と息子と出かける。
お布施の話。今後の日程。

夜、おばあが親しくしていただいた家に行き、話し込む。
一人暮らしの未亡人。

pm8時過ぎ、落ち着くが夕飯も食欲は無し。






posted by ふみ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月06日

親戚への連絡

亡くなった日に、業者がやって来て、様々なことを打ち合わせ
次にするのは親戚への連絡。

93歳まで長生きすると、12人兄弟だったおばあも、現在
生き残っているのは、私の母のすぐ上の姉、おばあにとっては
妹の1人のみ。
他は跡を取っている従兄達にする。

おばあの友人にも連絡した。

親しくしていただいた近所の方へは出向いた。

お昼も取らず、気がつけば夜。

炊き立てのご飯を茶碗に盛り、中心に箸を突き立て、おばあの
枕元に持っていった。

「おばあちゃん、ご飯だよ。起きて。」

もう、抱き起こすことは出来ない。
顔に触れるとどんどん冷たくなっていて、悲しかった。
立ち込めるお線香の匂いが、私に現実を知らしめているよう・・
posted by ふみ at 01:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

葬儀・通夜の日程

警察から家に帰って来たおばあを部屋に寝かせ、そこまで
運んでくれた葬祭屋さんに支払いをした。
次にすることはお寺さんへの連絡。
父の時に、一番に連絡するのはお寺さんだということを学習して
いた。
お寺さんに電話を入れ、お坊さんに寺の指定業者というのか
出入りの葬儀屋さんを確認。
そして、葬儀屋さんに電話をすると、もうお寺さんから話しが
通っていた。
ほどなく来てくれて、おばあの枕元に台を置き、お線香など設置
その後、打ち合わせが始まった。
お坊さんの方から、都合の良い日を業者に言付けてあって
あっさり通夜、葬儀の日程が決まる。
葬祭場は「市」の葬祭場を使いたかったが、混んでいて
1週間待ち、とのこと。
「あまり、長いと可哀想ですから〜。お寺さんが場所を貸して
くださると言っていますよ。」の業者の言葉でこれも決まり。

土曜日の朝に亡くなって、その日の夕方には通夜とか葬儀の日が
決められた。
土曜日に亡くなって、月曜日の晩が通夜で、火曜日が葬儀。
片付けられていくような速さ・・

「おばあちゃん、寝てないで。
起きるなら、今のうち・・」 声をかけたけど・・無言。

日程を決め、場所を決め
通夜で弔問客に配る物。
葬儀でのお返しのことを決める。
通夜のお清めの席と、葬儀後の段払いの席にふるまう料理を
お願いする業者選び。
明日まで、おばあの遺影の準備を言い渡されて、
市役所に出す死亡届、火葬許可証の申請を代行してくれるので
印鑑を預け、業者との打ち合わせ終了。
posted by ふみ at 01:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 亡くなってから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする